藤圭子趣味

絶妙な外見と人見知りな性格のオリジナルブレンド

圭子2号(または増殖する困惑)

私はいまだに藤圭子という歌手がよくわかりません。

70年代を通じて、藤圭子は姿や声をさまざまに変えました。

姿を変えたといっても、
それはたとえば梓みちよ山本リンダが変貌したみたいな、
あるいは山口百恵が少女からオトナになったとかいうのとは次元が違ってて、
双子のAさんとBさんのうち今日はどっち?って迷うような、
顔と声はすごくよく似てるんだけど実は完全な別人だっていう奇妙な感覚です。

それは要するに、七色の声を使い分けるとかいう、
歌手としての技量の問題なのかもしれません。
しかし「ヒトが入れ替わっている」という印象をどうしてもぬぐうことができません。
もちろん、藤圭子は一人しかいないのだと理性ではわかってるつもりです。
でも私の五感がどうしてもそのようなゴマカシを許さないのです。

大まかに数えただけでも、圭子は7人いました


★圭子1号(≒阿部純子
ファースト・アルバム「新宿の女」(1970年)

★圭子1号改
「女のブルース」(1970年)から「藤圭子リサイタル」(1971年)まで

★圭子2号
「知らない町で」(1971年)から「遠くへ行きたい」(1972年)まで

★圭子3号
「悲しみの町」(1973年)から「あなたの噂」(1975年)まで

★圭子4号
「生きてるだけの女」(1975年)から「貴方ひとすじ」(1977年)まで

★帰ってきた圭子2号
「面影平野」(1977年)から第1次引退まで

★圭子6号
1981年から90年代初頭まで。初期バージョンは "藤圭似子"。
Ver 2.0から "藤圭子" に昇格する。

なお圭子5号は出産・育児担当として宇多田純子名義で活動

 

「圭子2号」と「帰ってきた圭子2号」は同一人物だと考えられるので、
「圭子5号」を含めて全部で7人になります。

 

<周辺人物>
★純子さん
90年代になってから登場した、自称ヒカルのママ。
ただし圭子1号(阿部純子)や5号(出産・育児担当)との関係は不明。
藤圭子の真似がとても上手いが、
オバちゃんなのでちょっとオーバーアクション


しかし時間軸の上ではダブルキャストみたいに重なっている時期もあり、
1枚のアルバムの中で入れ替わっていることもあり、
ステージの下手に3号が引っ込んだら上手から2号が出て来るケースもあるなど、
なかなか手が込んでいます。
だまされないようにしてください。

どっちにしても圭子はメンドクサイ女です。
でもたとえ何人いようが、私はすべての圭子に均等に愛情を注いでいるつもりです。
全員まとめてどーんと来いや。(寂寞)

しかし「何でも好き」という態度は不誠実の裏返しでもあります。
その意味では、湿潤性の肉体の存在が背後にはっきりと感じられる圭子1号
最終的には心中しそうな気がしています。



圭子1号改が歌う「夜の花」です。
"情念" を深くえぐった表現という点で、
1号改は傑出したものを持っていました。
でもいわゆる演歌的な湿っぽさはなく、
あくまでも都会の夜のネオン
タクシーのヘッドライトの川みたいな世界観の範疇で
震えるような熱い感情を歌い切っています。
藤圭子にとっては当たり前の出来栄えかもしれませんが、
一歩引いて見てみると、
これほど肺腑をえぐるような歌唱には世間ではなかなかお目にかかれません。

文脈は推測してください

藤圭子が出てきた当時は、まだ「演歌」っていう音楽ジャンルが生まれたばっかりで、いま一般に「演歌」として聴かれているものとは、音楽そのものも、世の中の受け取り方もまるで違います。まったく異質なものですから、今の「演歌」が嫌いなのに藤圭子は聴けちゃうっていうのも、ぜんぜん不思議じゃないですね。文芸の分野にまで影響を与えた、特異な存在感を持った表現者だったって言うしかないんじゃないでしょうか。
その一方で、これは当時のテレビを観ていないと感覚的にわかりづらいかもしれませんが、デビューしてから数年間、藤圭子はアイドルでした。あえて「ただのアイドル」っていう言い方をしてもいいと思います。「歌手」っていうくくりだけでは、当時の受容のされ方をうまく説明できません。あのルックスと、喋り方と、歌ってるときの顔つきと、歌ってないときの挙動不審な感じと、近づきがたい雰囲気と、その一方でバラエティー番組にもバンバン出てしまう敷居の低さなんかを考え合わせると、藤圭子はよくも悪くも「アイドル」だったです。アイドルとして見られていたので、ちゃんとレコードが音楽作品として聴きこまれていない。だからなんとなく「伝説」として語り継がれているだけで、純粋に歌手としての評価が確立していないのです。

たしかに「万人に気に入られることを志向する」のがアイドルの必須条件だと考えたら、藤圭子は元からそんなつもりはないし、むしろ薄気味悪いおねーさんっていう雰囲気も多分にあったので、アイドルというイメージにはそぐわないかもしれません。でも実際にはミーちゃんハーちゃんに騒がれた部分が大きかった。一部の熱狂的なファン以外に、「スター」としてではなく、自分のためだけに歌ってくれる孤独な表現者として藤圭子を正面から受け止めた人が、当時どれだけいたでしょうか。魂のレベルにまで心を動かされた人が大多数だったとしたら、あんなに急速に人気が冷え込む道理がありません。
「あんな歌が歌えたのにどうしてアイドル扱いだったんだろう」というよりは、「アイドルとして扱う以外に対処のしようがなかった」というほうが近いでしょう。
引き出しのどの部分に藤圭子を収めたらいいのか、判断がむずかしい。それまでの歌手とは這い出してきた穴がぜんぜん違う感じだし、美人に見えないこともないけど、なんか垢抜けないし、しゃがれたヘンな声で歌うし、でもそれもひっくるめてなんかやっぱりカワイイ気もするし、貧乏から這い上がってきたところがケナゲだし、なんかレコード売れてるしみたいな流れで、実態がつかめないまま風船みたいに人気が膨れていったという点で、アイドル的だったんだと思います。まともに藤圭子を受け止めたら、自分の中の闇に向き合うことになるわけで、そこまで付き合うほど国民はヒマじゃなかったと。

謡曲の黄金時代、絶頂期ですから。いい歌手もいい歌も次々に出てくるから、そっちを追っかけてたほうが楽しい。大衆はべつに藤圭子がいなくたってぜんぜん困らない。そして結婚したことで、「藤圭子物語」がいったん完結したことも大きかったですね。昭和46・47・48年は、歌謡界が音を立てて変わっていったっていうか、1年ごとに風景がまったく違います。48年はもうCBSソニーの黄金期になってて、世の中の空気が違う。藤圭子は完全に過去の人です。ファンはそんなことは認めないでしょうが、ぼんやりと歌番組を見て満足してた私のような一般人にしてみたら、歌謡曲にはいい歌がありすぎて、藤圭子にかまけてるヒマなんかなかったです。

藤圭子の人気が爆発したのも潮が引くように人が離れていったのも、結局は「タイミング」の問題でしょう。国民の心理的なムードを抜きにして評価するのも、それはそれでむずかしい。当時の生活感覚で聴いたときに初めてわかる味わいというのも、残念ながらあると思うんです。純粋に業績だけを評価するということが一度もなされないまま、すでに年月が経ってしまった事実があるので、「タイミング」という面でも藤圭子が今後再評価されることはないと私は考えてます。蓄積された「人の記憶」を直接刺激する性質が強い歌手だと思うので。だからまともな形でアルバムがCD化されないのに腹を立てながらも、藤圭子からしょーがねーかなと思ったりもします。

私の場合は、世間で藤圭子が語られるときの文脈と自分の実感に大きな隔たりがあったので、できる限りいろんな「手」を使って、納得がいく自分だけの藤圭子像を作ろうとしました。ポイントは、藤圭子には「陽」の方向に引っ張る強い生命力が感じられることと、いろんな意味でヘンな人だったということです。その「生命力の強い不思議ちゃん」というイメージを表現しようとして、あれやこれや画策してみました。どこかで聞いたような借り物の言葉は使わないようにして、自分の記憶と純粋な音の印象だけを材料にして書きました。これまでほとんど共感してくれた人はいません。でもそんなに本質は外してなかったんじゃないかと今でも思ってます。

おっしゃるように、不世出の才能が大事に育てられることがなく終わってしまったという現実はあるんですけど、大事に育てられて、それが成功した瞬間は一度はあったんです。それがアルバム『新宿の女』だったんじゃないでしょうか。『新宿の女』では、ただ藤圭子という素材を目の前に置いて、その歌手としての特性をどう活かしたらいい作品ができるか、それだけを考えてアルバムづくりがなされてます。出来上がった結果がその証拠です。『新宿の女』では藤圭子の可能性は全方位に広がっていました。大事に育てれば、ポテンシャルはいかようにも開発されるはずでした。でも早くも次の『女のブルース』は、"藤圭子" のパブリックイメージに沿った作りになっていて、大衆の "誤解" をわざわざ増幅する結果になっている。男・女・酒・泪みたいな世界観は、阿部純子さんの実際からは最も遠いコンセプトなのに、その後歌謡界でニューミュージック系の勢力が強くなると、藤圭子はますますそういう閉ざされた世界の中に追い込まれていきました。

矢切の渡しが元々ちあきなおみの歌だったって、知らない人も多いんでしょうね。ちあきの矢切は情緒纏綿として、それはそれは素晴らしかった。それをどっかの男性歌手がなんの哀切もない平べったい歌におとしめてしまいました。あの男性歌手あたりから、"いわゆる" 演歌歌手というものの「構え」みたいなものが出来上がって、なんだかどいつもこいつもああいう歌い方をするようになった。「演歌歌手」っていうジャンルができた。「演歌的」なパターンの発声と節回しが上手にできれば、ごく狭い世界の中で「歌手でござい」と言えるようになった。
しかし歌謡曲に演歌もクソもありません。狭い世界の外側にいる人にも普通に届く表現力があってこそ本物の「流行歌手」です。「演歌歌手」ではなかったちあきなおみにはそれができた。いろいろ考えさせられます。

「ムカつく」とかいう言葉を使うこと自体受け付けない人が多いのでね。大事な藤圭子は、キレイな言葉で花を愛でるように表現しなければいけないらしいです。でも藤圭子ってそんな平板で当たり障りのない記憶だったんですか、って私は言いたかったのです。「ヘンな人」っていう部分を無視しちゃったら愛嬌もチャームもこぼれ落ちてしまうし、型にハマらない優れて人間的な藤圭子の歌唱を十分に享受できないでしょう。好きでいっしょになってもたぶん1週間ももたないだろう、みたいな感じの芸術家が歌う歌もオツなもんです。

あたくしは「田舎の別嬪さん」って呼んでるんですが、
地方の蕎麦屋なんかに行きますと
たまにこんな感じの人が出てまいります。

藤圭子運動神経がよかった」っていう疑惑があります。「夢は夜ひらく」のカラオケ映像の中でスタジャンを着た圭子が不良仲間と逃走するシーンがありますが、まったく無駄のないフォームでかなり俊敏な動きを見せています。"セカチュー" のTV版で綾瀬はるかが陸上選手の役をまったく自然にこなしたときのような、妙な驚きと感動があります。

たとえば北島三郎なんかも、最初の頃は目もくらむような天才ぶりを発揮していましたが、藤圭子も同様に、流しの記憶が体に染みついていた頃は、何か一瞬にして人の心を掴む動物的な勘みたいなものが生きていたのかもしれません。

若い頃の北島三郎は鬼のように上手いです。しかもああいう「演歌っぽい」歌い方っていうのは、北島三郎が確立してみんなが真似するようになったと言ってもいいわけですね。でもぜんぜん土台が違う。先駆者になった天才っていうのはやっぱり凄いもんです。