藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

いまさら言っても

もう何か月も藤圭子の歌は聴いてませんでした。どうでもよくなっちゃったからですが、この前ちょっと車の中で気まぐれに「新宿の女」をかけてみたら、走行中にも関わらずあわててシートベルトを外してしまいました。なんか口からヘンな声も出てたような気がします。

衝撃的な歌でした。

2年半毎日のように藤圭子を聴き続けて、それからパッタリと聴くのをやめてっていう極端なダイエットが、なにかわたしの聴覚に重大な作用を及ぼしたようです。藤圭子っていう存在がゆっくり時間をかけて床や柱の木目に沁み込んだところで、なんかエアコンだけDAIKINの真っ白いのに替えちゃったみたいな、身も蓋もないけど換気がよくて頭だけはスッキリしてますみたいな感じだったんだと思います。

「新宿の女」がまったく違う歌に聞こえたのです。節回しの一つ一つに残っていた意味が無理やり体の中に入ってきました。この歌はタダゴトじゃない。今までボンヤリと何を聴いていたのかと思いました。

今すぐ圭子のところに行って、腕を引っつかんで、

「あんた凄いよ。でも後はないからここでやめときな

って言ってやりたくなりました。

そう言うしかありません。圭子はデビューと同時に終わってたんだってことは前にも書いたことがありますが、それが自分の中で仮説ではなくてただの簡単な事実になったからです。簡単な事実なので、謎はもうありません。謎がなくなったからもう書くこともないかどうかは、今後の気分しだいです。

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まっとうに

んで?

売れてんの藤圭子劇場は。

どっちでもいいけど、通販限定のブックレット付きBOXセットなんていうのは、しょせんオモチャである。

相変わらず藤圭子はオモチャ扱いだ。マニアの慰みもんだ。狂った時代が産んだ徒花でしかなく、まっとうな歌手だとは思われていない。

まともな歌手は、ただむき出しでペラッとアルバムを出して、あとはほっとくもんだ。

渋谷公会堂と「圭子の人生劇場」と、それから「圭子のわらべ唄」を黙ってCD化して、あとは野となれ山となれというのが正しい行き方である。

 

そうして黙って発売されたあとで、山野楽器あたりにイジってもらうのが幸せなありかただ。

近ごろ銀座山野楽器なんかでは、「きっとあなたもジャズが好きになる」とか言ってトンチンカンな店頭企画をやっているが、案の定そんなものに足を止める人間はいない*1。「秋=ジャズ」っていう発想がもうダメ。春夏秋冬のべつまくなしに聴き続けるか、まったく触りもしないか、どっちかだよジャズっていう音楽は。

そんな間の抜けたことをやるくらいなら、ギターを持ったふじけーこのデッカイ看板をおっ立てて、「よみがえる藤圭子」とかテキトーなフリップを貼り出して、シブコーの「銀座カンカン娘」と「有楽町で逢いましょう」をスピーカーでガンガン鳴らしてやればいい。少なくとも人だかりはできるぜ。「これはなんだ」って言って外人も喰いつくよ。音のインパクトは絶対だから。でそこに「歌いつがれて25年」をずらっと並べときゃいいんだ。その脇に「知らない町で」をちょろっと置いとくとオシャレ度もアップするだろう。

それもこれも、アルバムが単体でまっとうにCD化されればの話である。

 

不思議なもので、もう一個のブログ(べびーめたる趣味 BABYMETAL-minded)ではけっこうBABYMETALをボロクソに言ったりしてるが、
藤圭子が好きな人には、逆にBABYMETALを聴かせてみたい気分になる。
中元すず香藤圭子は、いろんな意味で共通点が多いのである。

 

でも今は鈴木杏奈ちゃんとBAND-MAID小鳩ミクに夢中です。

いろいろめんどくさい。

 

*1:今はもうクリスマスツリーになっている。