藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

圭子の特性

渋谷公会堂の藤圭子

渋谷公会堂のライブ盤(『歌いつがれて25年 藤圭子演歌を歌う』)は突出して優れていて、出来があまりにもいいもんだから、これが本来の藤圭子の姿なのか、あるいはこの日この場所だけで異常な事象が発生したのか、もはやわからなくなっています。 その「違…

ストリート系はストリートで

「ピアフの生まれ変わり」って言いたくなるけど、そこはグッとこらえてZAZを聴いてると、ストリートで生まれた歌い手のあるべき姿を見せつけられる。 わたしとしてはどうしたって藤圭子のことを悔やまずにはいられない。あの人だって本当はストリートで生ま…

あたいの圭子はなぜウザい

圭子をベランダに蹴り飛ばしてから、ちゃぶ台に戻って吸いさしの「いこい」を咥え直した。一体この女はなんなんだろう。 前に引用したことがある岡本太郎の言葉を思い出した。 「人間の、本当に燃えている生命が、物として、対象になって目の前にあらわれて…

イビツを愛でる

ある意味ね、この感覚を説明したくていつもゴチャゴチャ書いてるっていう気もするんだ。おなじみの藤圭子専門ブログに、圭子が団地妻になって家事のマネゴトをやってる写真がいろいろ載ってて。あたしにとってはそれも圭子を解明する糸口になるからありがた…

テレビに藤圭子が出てくるとなんで気まずかったんだろう

藤圭子が歌謡界に這い出てきた当時の実力派の若手歌手、たとえば弘田三枝子や伊東ゆかり、黛ジュンなんかはいずれも米軍キャンプ上がりで、もちろんいろいろ苦労はあっただろうが、純粋にポピュラーミュージックっていう枠組みの中では、この人たちはエリー…

皮膚よりも近く

藤圭子は、文科系的に冷めた言い方をすると「異形の者」なんだけど、あたし個人が肌で感じる言い方では 「異様な人」なのね。まともに見つめたら目がつぶれるんじゃないかって思うくらいの異様さなの。それは最初に藤圭子を知ったときからずっと変わってない…

異形の者

皆様たいへんストレートに圭子のことが好きで、素直に褒め称えたりウットリしたり、美しかったり可愛かったり凄みを感じたり、"圭子もふつうの女の子だった" ことに気づいてみたり、それはとても健全で結構なことなんですけど、藤圭子が本来「異形の者*1」だ…

別の言葉

ファンの人は藤圭子のことを上手いとか天才とか簡単に言うけど、じゃあ圭子がデビューしたときに歌謡界で活躍してた若い人たち、たとえば黛ジュンとか、いしだあゆみ、小川知子、伊東ゆかり、水前寺清子、都はるみ、それから別格の存在として弘田三枝子なん…

改行がないのってHatenaっぽくね?

別の人間になって書くっていう縛りから解放されてあらためて気づいたことは、アタシの頭の中では、自分が元から好きだったもの、つまり亜土ちゃんのイラストや世界観とか、カラフルでラブリーでガーリーなグッズとか、フランス・ギャルやaikoの歌とか、タカ…

芸が死ぬ

藤圭子と冷静につきあうっていうのは、たとえば『別れの旅』のCD化のあとにいきなり『面影平野』に飛んじゃう、今回の扱いみたいなことを言う。そうだよね、それもこれも、みんな「藤圭子」だもん。でもあたしにはとてもそんな真似はできない。『圭子の人生…

おとといいらして

藤圭子は十七歳の阿部純子の才能のオツリで20年間食ってたっていうのがあたしの "藤圭子評" なんだけど、それで圭子が怒るかどうかなんてあたしは知らない。ましてや、YouTubeや圭子関連ブログに群がるフリークス、いやフリークの方々の意見なんかは、なんの…

「藤圭子」っていう名前の身体感覚

「藤圭子として歌うっていうことは、どういう身体感覚を伴う行為なのか」ってことをずっと考えてきた気がする。藤圭子を聴くときには、いつも後ろから圭子を抱きしめる形で聴き始める。そうするとすぐに圭子と一体化しちゃって、自分の体から圭子の声が出て…

隣に平気で座る人

十代のときは天下無双で神に愛された子だったとしたら、それからあとの藤圭子はなんなの。うーんそうだなあ、「間違える人」かな。肝心なところでいろんな選択を間違う。あぶなっかしくて見てらんないんだ。でも人間的な可愛さがそこから全開になってるから…

芸術的進化とか言っちゃって

「藤圭子という偉大な歌手の芸術性」とかって Amazon の書評にあったんだけど。なんかもっともらしいけどサ、ほんとにそんなもんあったのかなあ。"偉大" とか "芸術" とか、ぜんぜん身にしみないし、なんか安く見られたみたいで、あたしはやだな。大衆向けの…

生きてるから痛いのね

ここにただ一つの命が生きてることをリアルに叫んでんのね藤圭子にはね、成熟とか洗練なんてもんはないんだよたった一人で生まれてきて、たった一人で死ぬんだよでも死ぬまでは生きてるんだただ生まれてきてね、痛いんだよ子供んときは、髪の毛一本引っ張ら…

笑っちゃう

ブログに藤圭子のことを書くようになったのは1年半ぐらい前からだけど、当初からあたくしは藤圭子を「おもしろネタ」のように扱ってまいりました。そういうマジメじゃない態度っていうのは、いま考えると、藤圭子の本質が仕向けた結果なんじゃないかとも思…

Obsessed

あたしはよく「ふじけーこ」っていう書き方をするんだけど、そのニュアンスがどれだけ伝わってるのかはわからない。藤圭子は、藤っていう苗字の圭子さんじゃないんだよ。藤圭子は「藤・圭子」じゃなくて「ふじけーこ」っていうひとつの "現代用語" であって…

さいはての女

2013年現在、自分にとっての藤圭子のベストアルバムはスタジオ録音では『さいはての女』であり、ライブなら『歌いつがれて25年 藤圭子 演歌を歌う』です。*1「25年」のほうは、歌ってもんに対する認識が根本から変わっちゃう大傑作なのでちょっと別格ですが…

この子はどこらへんに置いたらいいんでしょう

ざらついた現実を生のまんま投げてよこす無造作な一面と、「可憐な少女歌手」っていう一面が並列なのが藤圭子なんだけど。久しぶりにまたYouTubeに緑川アコの「夢は夜ひらく」がアップされたから引っ張ってきました。ビートルズが来日したころまでは、「オト…

全方位の女

藤圭子っていう人は人並み外れた才能と唖然とするような凡庸さと仏のような慈愛と捨鉢な人生観とけがれを知らぬ心と身も蓋もない俗物根性が薄紙一枚隔てて隣り合わせに共存する女です嘘がつけない女自分を何か違ったものに見せることができない女聖と俗の両…

この歌唱について思うところを述べよ。

■■「銀座カンカン娘」音源消失■■考えときます。 <意見 1>『三番のアタマ「指をさされて カンカン娘」では「さされて」の「て」が3連符の2つ目の音符に来ています。シャッフルビートの曲なので普通は3つ目の音符に持ってきそうなものですが2つ目に置く…

言葉で撫でるやりかた

「歌と共に生きる自分の人生を見出した藤圭子は歌い続けたある時は一夜に五十数曲を歌った喉も枯れ、身も倒れようともその歌声はしかし、いつしか人の胸に食い入っていったそれは声と魂が一つになった歌だったからそして花は美しく開いていった」(「黒い花…

『新宿の女』 ~箱入り娘も巣立ちます~

どこか一箇所を突っつけば満天の星が一気に頭の上に落ちてきそうな夜空の下、地平線を彼方に見て白いギターを抱え、手にはロザリオをかけて、若い娘が一人でその乳青色の微光を浴びて佇んでいます。冬といっても、霧氷が木の枝にからみつくような、どこか湿…

圭子2号(または増殖する困惑)

私はいまだに藤圭子という歌手がよくわかりません。70年代を通じて、藤圭子は姿や声をさまざまに変えました。姿を変えたといっても、それはたとえば梓みちよや山本リンダが変貌したみたいな、あるいは山口百恵が少女からオトナになったとかいうのとは次元が…

右の圭子と左のあゆみ #2

車に乗ってるときにフロントガラスに雨粒が落ちてきたりすると、私の頭の中では三善英史が「あんめぇ~にー ぬれながぁ~らー」と歌い出します。これは知らない間に植えつけられた宿痾みたいなもんで、一生治ることはないでしょう。しかしそうやって、人の残…

右の圭子と左のあゆみ #1

藤圭子はある種つかみどころのない人でしたが、歌にも不思議があります。藤圭子の歌は、歌詞が頭に残りません。数えきれないほど繰り返し聴いたはずなのに、具体的にどんな内容の歌だったのか、さっぱり思い出せないのです。洋楽だろうが歌謡曲だろうが、ポ…

憎しみがスパイス

この前、どんなときでも藤圭子とは「距離ができたことがない」と言いました。まったくそのとおりで、間違いはありません。親愛の情と感謝の念を持っているというのもウソではありません。しかしそれは、常に好意的なほんわかとした感情を抱いているのとは違…

恋のゴールは死

ある人に言わせると、「圭子の夢は夜ひらく」とタイガーマスクのエンディングテーマ「みなし児のバラード」とカルメン・マキの「時には母のない子のように」が「3大・誰もが気が滅入る暗い歌」だそうです。藤圭子というとなんで「暗い」っていう形容詞が無…

吐いたら吸う

考えてみれば自分は元々ビートルマニアのジェネシスフリークですが、ビートルズのリマスターについてちょっと触れた以外は、ここで何かを書いたことはありません。当たり前の存在なので逆にどうでもいいというか、ビートルズが血と肉なら腕と足回りがジェネ…

共鳴現象

「藤圭子の何を聴いているのか」と問うことは、結局はどのような肉体的な作用を受けているのかと考えることになります。前回、藤圭子は、いきなり来ます。チャイムが鳴ったから玄関に出てドアを開けると、もう後ろに立ってます。という言い方をしましたが、…

低音は出ません

藤圭子という歌手は、今も昔も音楽としてあんまりマトモに聴かれていない気がします。リスナーが思い描くストーリーやイメージの受け皿として「藤圭子」っていうパッケージがすごくよくできていて、少なくとも半分はそのせいで売れてたっていうのは言い過ぎ…

完成された不完全

青江三奈の声が夜のため息だって言うなら、藤圭子の声はいったい何なのさ。それは夜の女でもなくズベ公でもなく、「幼女の泣き声」だな。親とはぐれた子供が泣き叫んでるみたいな声だ。藤圭子を聴いたときに湧き上がってくる感情っていうのは、泣いてる赤ん…

心臓ワシづかみ

「怨歌」なんて言葉は藤圭子の本質とは何の関係もなく、五木寛之の個人的な妄想であったにすぎない。藤圭子の歌そのものには、怨念や暗い過去などというものはミジンも感じられない。暗い暗いと言うが、昭和40年代前半くらいには、夜の濃厚な暗さを表現した…