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藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

心臓ワシづかみ

怨歌」なんて言葉は藤圭子の本質とは何の関係もなく、
五木寛之の個人的な妄想であったにすぎない。
藤圭子の歌そのものには、
怨念や暗い過去などというものはミジンも感じられない。

暗い暗いと言うが、昭和40年代前半くらいには、
夜の濃厚な暗さを表現したムード歌謡っぽい歌はいくらでもあった。
「おとなの歌謡曲」っていうのはそういうもんだった。
しかし藤圭子の歌は、そんなまとわりつくようなねちっこさとはまったく性質が異なるものである。

藤圭子は、声がカスレていた。
そういう声が、お人形みたいな風貌の少女から出てくるのが倒錯的だっただけである。
子供の中に声がかすれている子が混じっていると
なんだか妙に可愛いのとおんなじだ

当時は文化人や評論家が理屈をこね回したりもしたが、
結局のところ藤圭子は、オトナが面白がっていじくり回すのにちょうどいい
オモチャであったということだろう。
また若者の眼から見ると、
それまでの歌謡界の景色にはまったくそぐわない、
日頃キャンパスで見かけるような等身大の女の子が、
大人に媚びることもなく、笑いもせず、
人間の芯が剥き出しになったみたいな歌をヘンな声で歌う、
それまでに味わったことがない感情(あるいは劣情)を刺激する存在だったのではないか。


実際にはリアリティと説得力のある歌を歌うだけの力がないとそういう存在は成立しないが、藤圭子にはその才能がたんまりあった。
かすれているがなぜだか艶っぽい胸キュンボイスで、
人の心臓をワシづかみにすることができた。

藤圭子は実はいろんな声を出せるが、
ひとつにはこの「愛の巡礼」、それから「東京夜曲」のように歌えることが絶対的な強みである。

 


<音源消失>





もう帰ってもいいですか

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