藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

うしろの圭子さん

続きますが、60年代当時、私は弘田三枝子がどれほどの歌手であるのか
まったく認識できていませんでした。
私が愚鈍であるということもありますが、
一方で私に限らず、あのころの一般大衆は
似たりよったりだったんじゃないかとも考えてます。
弘田三枝子大衆の音楽的成長なんかおかまいなしの才能だったんです。

いろんな比較基準が自分の中に蓄積されるまでは、
弘田三枝子は「いつも元気で歌が上手なミコちゃん」以上の存在にはなりません。
しかしいろいろと経験を積んでくると、
ようやくこの歌手の底なしの実力がわかってきます。
海外のポップミュージックを聴いていても、
弘田三枝子より明らかに優れていると言いきれる歌手は見つかりません。
サシで勝負できるのはバーブラ・ストライサンドぐらいのもんでしょう。

 


Barbra Streisand - Somewhere (From "West Side ...

 

 


WHAT'S GOING ON/Mieko Hirota - YouTube


弘田三枝子/渚のうわさ
作詞:橋本淳
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平
南沙織の「潮風のメロディ」(作曲:筒美京平)につながってますかね>


渚のうわさ/弘田三枝子 - YouTube



ですが裏を返せば、弘田三枝子は「学習」できるんです。
勉強すればそれだけすごさがわかってきます。
受け取る側の経験に応じて、
見え方もその人にとっての価値も変わってくる歌手だということです。
段階を踏んで理解できるので、
そのよさを順を追って人に説明することも不可能ではありません。

また別の観点から見ると、
弘田三枝子は音楽的な純度が非常に高い歌手です。
言ってみれば、聴く者に音楽的な体験しか提供しません。
完成度が高くて、夾雑物というものがないのです。
上質な歌を聴いたという純粋な感動以外に、
よけいな感情が引き起こされることがありません。

芸能というものは受け手があって初めて成立するもんですが、
弘田三枝子の場合は、なんなら聴衆なんかいなくたって弘田三枝子として存在できます。
だから、表現者という一線を越えて聴き手の存在を危うくするようなこともありません。
弘田三枝子はいつも安全な客体です。
安心して褒め称えていればいいんです。
こちらが近づくつもりがなければ、
そのままのスタンスでいつまでも待っていてくれます。


藤圭子は、いきなり来ます。
チャイムが鳴ったから玄関に出てドアを開けると、
もう後ろに立ってます。


そのうち終わります。