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藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

共鳴現象

藤圭子の何を聴いているのか」と問うことは、
結局はどのような肉体的な作用を受けているのかと考えることになります。

前回、

藤圭子は、いきなり来ます。
チャイムが鳴ったから玄関に出てドアを開けると、
もう後ろに立ってます。


という言い方をしましたが、
これはべつにフザケたわけじゃなく、
藤圭子が及ぼす作用を正確に表現しようとした結果です。

気がついたら家の中に入っていたということは、
もしかしたらもっと前からいたのかもしれません。
それに気づいた瞬間に、「主客合一」が起こります。

弘田三枝子はいつも安全な客体」であると言いましたが、
藤圭子にはそんな切り分けはありません。
聴いた瞬間に、声が自分の体の中から出てきます。
藤圭子が歌っているのか自分が歌っているのか、
境界があいまいになるのです。
このようないわば恍惚の境地を、
三波春夫は「お客様は神様です」という言葉で表現したんですけどね。

藤圭子の歌は、胸に響きます。
心が動かされるとかシミジミと感じ入るとかいう意味ではなく、
物理的に胸郭が共鳴するのです。
声が持っている独得のバイブレーションがウチとソトとの境界をあいまいにして、
ベクトルを逆にしてしまいます。

たとえば弘田三枝子の歌は両耳から入って
アタマの中に響きますが、
藤圭子の歌は胸から生まれて口から抜け出ていきます。

私はこれを「愛情が口から逆流する」と言っています。
自分を愛するように圭子を愛するようになってしまうのです。
したがって自分の中に怨念があれば、
藤圭子は修羅にもなります


藤圭子という歌手は、感性とか美意識などとは別のところでしか感知できない要素を持っています。
ここで言ったような物理的・即物的な作用が肉体に及ぶからです。
リングウイルスにたとえることもできるかもしれません。
一度感染すると、藤圭子を見続けろという指令だけに従って体が反応するようになります。

だから藤圭子は、弘田三枝子と違って
「学習」してわかるようにはなりません。
わかるときには一瞬にしてすべてがわかります。
直観知でしか会得できない、やっぱり因果な歌手だということになりますかね。

感染するといろいろやっかいなこともありますので、
ドアを開けるときは自己責任でお願いします。

 

 

 

 

 

もう入ってます

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