いくら藤圭子はアルバム単位で聴くべきだって訴えても、
モノが流通していないんじゃどうしようもありません。
当然ながら、YouTubeにもLPを再現できるような素材は揃っていません。
でも1971年12月発売の『知らない町で』については、
B面1曲めから4曲目までを続けて聴ける音源が揃いました。
せめてこれで、藤圭子を流れで固めて聴くとどうなるかを確認してほしいです。
Side B
1) 四月の花まつり
2) 京都から博多まで
3) 女の冬
4) 恋のドライブ
■■音源消失■■
「京都から博多まで」も、アルバムのトータルなサウンドの流れで聴くと
まったく違って聞こえるはずです。
聞こえてくれなければ困ります。
昭和46年から47年にかけて、歌謡曲は絶頂期を迎えました。
職業作家たちの才能の成熟とリスナーの成熟が合致して、
大人のためのオトナな歌謡曲がタダレた花を咲かせました。
そんな時代の中で藤圭子がどんな世界観を表現していたのか、
片鱗だけでも味わってください。
(この時代特有のエッジがきいたベースの音にも注目)
『さいはての女』『圭子の人生劇場』『知らない町で』という
連続する3枚のアルバムで、
藤圭子は自分の「ヘンな」声を自覚的に使う方法を身につけて安定期に入ります。
人気の沈静化と並行して、「ソフト・ランディング」に成功する兆しも見えました。
ところがその後まもなく、
時代が歌謡曲というものを捨てにかかってきます。
歌謡曲の死がここから始まりました。
アイドル歌手による歌謡曲の子供化が進むと同時に、
フォーク/ニューミュージックまわりの人材が幅を利かせるようになって、
藤圭子は矮小化された「演歌」の枠の中に押し込められ、
曲作りまでどんどん矮小化され、
居場所をなくしていきます。