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藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

藤圭子と四月の花まつり

私は「藤圭子いのち」なので
基本的に藤圭子が歌ってさえいれば何でもヨシなんですが、
一方で謡曲マニアでもあるので、
その視点から見るとまたランキングが変わってきます。

でもどっちの立場から見ても、前回とりあげた「四月の花まつり」は外せません。


■■音源消失■■


「四月の花まつり」は、ある意味「煮え切らない」曲です。
構成が変則的であることも相まって、
掘り起こされた気持ちがそのまま解決されずに
寸止めで放り出されるような、
カタルシスに到達しないやるせなさがあります。

そしてこの曲の藤圭子はあんまり圭子クサくありません。
実際には藤圭子以外ありえない声なんですが、
なにか背景に溶け込んで1つの「音色」になっているような印象があります。

藤圭子はもともと歌手としての我欲や自己主張があんまりないタイプでしたから、本能的にこの曲に対する自分のスタンスを見極めたんじゃないかと思います。
曲を渡されたその場で、瞬間的に。

そして筒美京平のほうでは、藤圭子の声質や特性から考えて、
この歌手にはこういう「放置プレイ」が正しいと、
作曲家の直観で判断したのではないでしょうか。

藤圭子の危うさというかスキの多さっていう特徴が加わって、
最後にこの曲は命を持ったんです。
謡曲として非常に出来がいいのに
この歌が藤圭子一人のもので終わったのはそのためじゃないでしょうか。
ただ綺麗に歌えばいいってもんでもないので。

そういう意味で、「四月の花まつり」は
本来は縁が生まれないはずだった歌手と作曲家が
適度な距離感を意識しながら歩み寄った、
謡曲の歴史の中でもそう頻繁には起きない幸せな瞬間だったのではないかと思います。

一方で、筒美京平は忙しい人ですから、
誰の曲かもあまり考えずに右から左に書き飛ばした可能性もないわけではありません。

しかし藤圭子の特性にぴったり寄り添った出来ばえから察して、
「四月の花まつり」、そして「恋のドライブ」は、
歌手藤圭子に対する作曲家・筒美京平の厳父のような愛情だったのだと解釈したいです。




※「京都から博多まで」ではなく
「四月の花まつり」がシングルカットされていたら
藤圭子の運命も変わっていたのかなと
ちょっと考えてしまいました。
どっちにしても、『知らない町で』のCD化を心からお願いいたします。








<おまけ>
こちらは筒美京平的な到達感が全開です

ヒデとロザンナ/愛の架け橋
作詞:橋本淳
作曲:筒美京平
編曲:筒美京平

 

■■音源消失■■