藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

右の圭子と左のあゆみ #2

車に乗ってるときにフロントガラスに雨粒が落ちてきたりすると、
私の頭の中では三善英史が「あんめぇ~にー ぬれながぁ~らー」と歌い出します。
これは知らない間に植えつけられた宿痾みたいなもんで、一生治ることはないでしょう。
しかしそうやって、人の残りの人生にジクジクと影響を残す言葉を持てた歌手は幸せです。

その前年には雨といえば「ふーりしきーる あめーのほどーお」(湯原昌幸「雨のバラード」)だったし、
「こんぬか あめ Furu みとおぉすじぃ」(欧陽菲菲「雨の御堂筋」)というのもありましたが、
歌手の名前を思い浮かべれば自然に流れだすフレーズってもんがありました。

「いつものよぉおーにまくぅーがあぁきー」でも
「あなたがかんだ こゆびがいたい」でも
「こぉおべぇー」でも、
みんななんかしら持ってます。

ひるがえって藤圭子の場合、
同時代を生きた多くの人が覚えている "言葉" ってあるでしょうか。
ないですよね。

記憶に残ってるとしたら、
151617っていう「数字」だけでしょう。
「人に覚えてもらった言葉がない」っていうのは、
藤圭子クラスの歌手では他にいないと思います。

もし本当に人の心に3つの数字しか残さなかったとすれば、
藤圭子がものすごいスピードで忘れられるのも
いたしかたないかもしれません。

声の質に原因があるのか発声法に秘密があるのかはわかりませんが、藤圭子が何かを歌うと、不思議なことに歌詞が子音と母音に分解されて、言語的な意味を持たない音楽的な音の連なりに聞こえる気がします。サックスのキーを叩く瞬間のインパクトが子音で、出てくる音が母音みたいな感じです。

言語的な意味を持たないサックスの音のような藤圭子の歌は、
右脳に直接吸い込まれます。
「右の圭子」とはそういう意味ですが、これはまんまジャズボーカルの世界でもあります。

そういえば八代亜紀が今度ジャズボーカルのアルバムを作って全世界に配信するようです。
元々クラブ歌手でプロ中のプロだった八代さんにとっては古巣に帰るようなもんでしょうが、
私はこの人はやっぱり歌詞を語る「左」のタイプの歌い手だと思います。
青江三奈も同じです。

ジャズなんてものには関心がないように見えた藤圭子のほうが
何を歌っても体が楽器になっていたのは皮肉なことです。
本人にはまったくそんなつもりはなく、言葉に心を込めて歌っていたはずなんですが。

しかし実際には、
子音と母音で構成された音の連なりを
ミリ単位の精妙さでメロディーの上に貼り付けていく
瞬間的な判断と感覚の鋭さ藤圭子の天才がありました。
その部分が、瞬間の芸術であるジャズと根っこが共通してますね。

それから藤圭子の声はジューン・クリスティーに似ています。
音色的な味わいと可憐さの両方を表現できる、お得な声だったのにな。

 

 


June CHRISTY " Taking A Chance On Love ...


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サックスで言ったらアルトのジャッキー・マクリーンなんか近いかも


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