藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

物理的に交わる

果たして藤圭子が自分の歌をレコードで聴くなんてことがあったのかどうかはわからんが、どっちにしても、圭子嬢がレコードジャケットを手に取って中身をするっと出して、両手で丁寧に捧げ持ってターンテーブルに乗せるなんていうしおらしい所作ができたのかどうか、さらにはステレオの前に大人しく横座りなんかして音楽を聴けたのかどうか、あたしにはどうしても想像できない。

圭子はやっぱり、黒いタートルネックの背中をこっちに向けて、新宿の酒場でジュークボックスのボタンを投げやりに押してるちょっとまぶいナオンのほうが似合う気がするわな。

しかし LP レコードっていうのは今見るとデカイぞ。日常手にする物体としてはあり得ないほどデカイ。2枚組ともなるとデカくて重い。老眼だと手に持ったままではジャケットを鑑賞することもできんが、それぐらい物体としての存在感があったから、取り出して聴くのにも覚悟が必要だったし、一枚一枚、一曲一曲親密度を高めていくと言うか、ねんごろになってくことができたってのもあるな。データが回線を通ってスッ飛んでくるのをキャッチしてる今だって、針がガジガジとレコード盤を削ってくのを眺めながら聴いてた感覚は変わらんね。
そんでガジガジといじめた後は、スプレーかなんかをシュッとかけてレコードクリーナーで柔らかく撫でてやる。疲れて帰ってきた連れ合いのふくらはぎを優しく揉んでやるみたいな感じですかね。

眺めるっていえば、圭子の記憶はやっぱりあのRCAの向日葵色のレーベルといっしょくたになっていて、それがくるくる回るのを見つめて陶然となることが、圭子との唯一の物理的な接点だったわけね。「減るのがもったいないから」っていう理由で、カセットデッキを買ってからはテープに落として聴くようになった、貧乏くさいあたしの言うことじゃないけどね。"こすると音が出る" っていう点ではおんなじでしょ。違うか。

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そうかと思えば、シングル盤となると今度は重みのカケラもない頼りない物体だけど、買ってくればステレオをオートリピートにしてそれこそ20回も30回も立て続けに聴くことになるし、情も通じるというもんです。
ネットで1曲ダウンロードするのと何が違うのってことだけど、そりゃやっぱり「ニオイ手触り」が違いますよ。レコードには匂いがあります。LPでもそうだけど、ジャケットや歌詞カードの紙の匂い、レコード盤の材質の匂い、それからレーベル近辺にもまた違った匂いがあるし、それがステレオ装置の木の匂いと混じり合って、これを官能と言わずして何と申しましょう。
音楽はもれなくニオイ付きでありました。

ところでシングル盤といえば、圭子のシングルのうちパッケージとして一番強烈だったのはなんですかねってことだけど、それは「恋仁義/涙ひとしずく」じゃないですかね。1曲単位では「命預けます」も濃厚だったけど、「恋仁義」はA面B面のどっちも曲にインパクトがあって、「涙ひとしずく」なんかは「命預けます Part 2」って感じだし、声も圭子の一番圭子らしい部分が活かされていて、技巧的にも突き抜けてるし、乾いていながら官能的で、レコード1回転当たりのカロリーが高く、何か物騒なモノを背にして涼しい顔をしている圭子様の面差しゐずまひも、すべて引っくるめてあたしの手の上でメラメラと燃えます。

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