藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

『わが歌のある限り』と天知茂

『わが歌のある限り』を観てまいりました。

映画が上映されることを教えてくれながら
ご自分では観に行けなかったNAKAさんには申し訳ないんですが
身をよじるようなすばらしい作品でした。

何よりも、ドキュメンタリー的なさばき方ではなく
あくまでもフィクションとして完成されていて、
誰でも楽しめる娯楽作品に仕上がっているところがさすがだと思いました。
映画の職人がまだ生きてたってことです。

今度ばかりは "主役" ですから、
ひたすら圭子嬢を見つめ続ける濃密な1時間半という感じです。

しかも、なぜか1971年とは思えないほど画面が古臭く、 オープニングタイトルから始まって、色遣いからなにから、ほとんど昭和30年代前半の映画かと見まがうようなステキな出来栄えになってます。どうもこれは意図してやってますな。

それにしても皮肉なことに、 "藤圭子" の誕生を描いたはずのこの映画が、そのまま藤圭子の絶頂期の記録になってしまいました。

あたしに言わせれば、藤圭子藤圭子であった "最後の輝き" なわけです。
あたくしはこれよりあとの時代の藤圭子に、
いまだに慣れることができません。

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石坂まさをがモデルの石中先生(天知茂)の自宅には
開放的で明るいリビングがあって、
白いグランドピアノが置いてあります。
そこで圭子にレッスンをつけるんですが、
先生がくれるお手当てが少ないもんだから
生活のために母親と二人で流しをやって、
とうとう声がかすれてしまった圭子に向かって

なぜそんなに荒れてしまったんだ!
それじゃまるで河原のジャリじゃないか!!

などと、トンでもないことを言うしげるちゃんなのでした。
人の都合なんかおかまいなしです。

でも圭子の声を「ジャリ」と切り捨てた天知茂には惚れました。
しげるちゃんは「非情のライセンス」のあのまんまです。
だからまったく必要のない威圧感があるんですけど、
石坂まさをの "狂気" の部分を表現するには
もしかしたらうってつけだったのかもしれません。
恋のために歌を捨てようとする圭子を
バカッ!!」と平手打ちにしたりもします。*1
そして奥さんに
あなたは圭子さんが好きなのよ」と痛いところをつかれて
ハッと我に返ったりもするすてきなシーンでありました。

シーンと言えば、

ただいまぁ~!お野菜が安かったから買ってきちゃったぁ!!

という圭子の名ゼリフもありました。

ドリフのコントで培った実力ということでしょうか。


そんな天知茂藤圭子に敬意を表して、
あたくしも来年の書き初めは

河原乃砂利」でいくことにします。


 

※ところで、なんか間違った情報が拡散されてるみたいなのでいちおう書いとくんですけど、この映画で実際のワンマンショーの映像が8曲分使われてるっていう話が一部で信じられてますが、それは違います。

本当は、普通の映画と同様にエキストラを集めてワンマンショーのシーンを撮ったっていうだけです。あくまで映画的な画面と演出であって、ドキュメンタリー映像ではないです。

しかも全曲を一気に歌うわけではなく、演出効果上、歌のシーンは映画全体に適宜分散されてます。たしかにストーリーの流れではクライマックスがそのリサイタルになるので、「女のブルース」ほか何曲かは最後にまとめて歌いますが。

歌うといっても音源はレコードとおんなじです。ですからこの "ワンマンショー" は映画のシーンにすぎないので、その部分だけ取り出して商品化するというのは意味がなく、映画自体がDVD/ブルーレイ化されるのを願うばかりですわ。

 

*1:ぶたれて膝をついた圭子は、頬に手を当ててキッと振り向き、先生をニラみ上げます。お約束の絵ヅラです。もちろんどアップ。