あたしはよく「ふじけーこ」っていう書き方をするんだけど、
そのニュアンスがどれだけ伝わってるのかはわからない。
藤圭子は、藤っていう苗字の圭子さんじゃないんだよ。
藤圭子は「藤・圭子」じゃなくて「ふじけーこ」っていう
ひとつの "現代用語" であって流行語であって
時代のシンボルみたいなもんであって、
たまに「ふじ・けいこ」っていうように頭にアクセントを置く人がいるけど
それは違うよね。
"富士" じゃなくて文字どおり "藤の花" の「フジ」。
それから「藤さん」って呼びかけるものヘンだな。
それじゃまんま「富士山」じゃん。
あくまで「ふじけーこ」でひとつの言葉なんだってこと。
そしてその言葉の響きの中に、
昭和44年から46年ぐらいまでのいろんなイメージが凝縮されてるってこと。
で、その「藤圭子」が流行語みたいになったころの映像って
いまさら誰も関心を持ってなかったってこともあって
YouTubeなんかでもほとんど見られなかったんだけど、
最近はいくつか貴重な映像をアップしてくれるケースが出てきました。
考えてみたら、いま現在藤圭子を聴く人のみんながみんな
当時テレビで圭子を見てたわけじゃないから、
その頃どういう姿かたちをしてたのか
まったく認識していない人もいるはずなんだ。
頭の中のイメージにズレがあると、
同じ歌でも聞こえ方がまるで違ったりするもんな。
大阪万博の年に日常的に見てた「藤圭子」って、
最大公約数的にはこんな感じじゃないすか。
あたしがイメージする「ふじけーこ」はこのまんまフリーズドライだよ。
■■「第1回日本歌謡大賞」動画消失■■
そんなこと言ったら圭子は怒るよね。
でもしょうがないって。才能的にも最高に爆発してたときだし。
それだけインパクトのある存在だったってこと。
何年か経つともう別人みたいになっちゃうから、
そうなるとね、前にも言ったことがあるけど
あたしは圭子を圭子だと認識するまでちょっと時間がかかる。
これも同じときの映像だけど
■■「第1回日本歌謡大賞」動画消失■■
まだカラーテレビがシモジモに行き渡ってなかった当時、
実際に見てた藤圭子はこんな感じ?
「でも、初めてだよ。あたしの髪が茶色かったって覚えていた人。みんな、白いギターに黒く長い髪が印象的で、なんて必ず言うからね。みんなそうだよ」
(沢木耕太郎 『流星ひとつ』)
そんなこと言ったってアンタ、
ワシら庶民は白黒テレビでしかキミを見られなかったのさ。
写真で見る髪の毛が茶色かったとしても、
そんなのは記憶の中では帳消しだ。
たとえばこんな芸能ニュースだって、
カラーで撮影されてたなんてみなさん知ってましたか。
■■「新宿24時間キャンペーン」動画消失■■
(なんでナレーションが「19歳」になってんの? まだ18だってば。
それに当時は「17歳」っていうフレコミだったんじゃないの?
めちゃくちゃだなあ)
「ふじけーこ」だと認識できるのはギリギリこれぐらいまで
■■「72年の歌謡大賞」動画消失■■
すいません、抱きしめてもいいですか