藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

そっちとこっち

もし藤圭子が本当に魂を込めて、命を削って歌っていたっていうんなら、
聴くほうだって、自分の感性と経験を総動員して評価しないと。*1
そこんところだけは、テキトーにごまかしちゃ駄目でしょ。
それが、敬愛する表現者に対する礼儀だもんね。
藤圭子が真剣勝負でかかってくるんなら、こっちだって聴く立場で全力で応戦します。
そうやって初めて魂の交流ってやつができるんじゃないの?ってあたしは思うけど。

みたいなことをつきつめてくと、最後には、
こっから一歩出ちゃったらその先のアンタは認めらんないよっていう
線引きをしなきゃならないときが来る。
人間・藤圭子にシンパシーを感じて敬愛するのとは別の話。

だってあまりにクオリティーが違いすぎるんだもん。
そっちとこっちで。

人間・藤圭子については、身につまされます。
よくわかる気がする。
欲しくてたまんなかった家族、それからもろもろの人間関係なのに、
いざ手に入れてみるとそれらは全部、
自分を型にハメて操作しようとする存在、
自分の正直な思考と感情を奪ってく存在に見えてくる。
「違う!」って全力で叫んでも、笑うか怖がるかのどっちかで、
けっして本気で受け止めてなんかくれない。
だから、全部ブッ壊すしかない。*2

ああブッ壊したい。
趣味はエキセントリックに、生活は堅実に」です。

で、藤圭子の「そっちとこっち」の間の線はどこに引かれてんのかって話だけど。

少なくとも昭和50年代に入ってからの歌には、あたしはついていけない
藤圭子がどうだっていう以前に、その当時の歌謡曲のサウンド自体を体が受け付けない。
フォークやニューミュージック系の人材の台頭、歌謡界の幼児化、サウンドの画一化、新しいジャンルとしての「演歌」の確立なんかのせいでイヤな雰囲気になってきて、藤圭子が狭い所にどんどん追い詰められていく*3

シングルの『さすらい(1975年)だけは例外的に "異常に" いいんだけどね。
あれは藤圭子の天与のフレージングのうまさが完璧に発揮されてる奇跡みたいな曲です。

しかしそれをもってしても、
1971年12月に引かれた線は動くことはありませんでした。*4

1972年になると、8年前と違って今度は冬季オリンピックだから、年が明けたらもう気分は "サッポロ" なの。トワ・エ・モワ「虹と雪のバラード」なの。銀盤の妖精ジャネット・リンなの。2ドア冷蔵庫が本格参戦して、冷凍庫を開けたら気分は北極なの。なんか日本もずいぶん灰汁が抜けて白くなった感じ。やっと70年代の気分になってきた*5。ケンとメリーのスカイラインだもん。もうゲバ棒振り回してる時代じゃない。浅間山荘だって、テレビに映るのは雪ばかり。さらに追い打ちをかけたのが、朝ドラ藍より青く*6の主題歌「耳をすましてごらん」*7、そしてビリー・バンバン「さよならをするために」
日本人はきれいに漂白されたかった。落ち着きたかったんだ。
もう圭子の居場所はどこにもない。*8


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ピースと圭子は並び立たず

 

 


本田路津子と同じ会場でアウェー感いっぱいに熱唱する藤圭子
2年前の熱気は幻だったのでしょうか

 


おとなしい曲のほうがインパクトが大きかった72年

 

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いいなこのころの若者は暗さに骨があって

 

 

このあたりでつらくなって、結局『歌いつがれて25年  藤圭子 演歌を歌う』に戻ることになる。
1970年のこのレコードとボロっちいレコードプレーヤーさえ手元にあれば、あたしは生きていける。*9

この音源がこの世に残ってくれて、人に聴かれさえすれば、
なんならファンなんかやめたっていい。

この録音は、藤圭子のキャリアの全体像から振り返ればごく初期のある日の記録でしかなく、
その意味では「藤圭子」ですらないのかもしれない。

だったらそれでもいい。
『歌いつがれて25年』と "藤圭子" のどっちを取るかときかれたら、
あたしは躊躇なくこのレコードを取って藤圭子を捨てるから。
つまりあたしにとって、藤圭子はここで「上がり」ってことになるな。
身も蓋もないけどしょうがない。


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう - YouTube


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう2 - YouTube


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう3 - YouTube

 

lookwho.hatenablog.com

 

※今わたしにとって一番不思議なのは、なぜ常識から1ミリもハミ出ない、品行方正で物事を疑わない(よく言えばモノを考えない)人たちばっかりが藤圭子に群がって、ぬるま湯みたいなやり取りをしているのかということです。「なにが悪い」っていう中学生みたいな反応はしないでください。誰も悪いなんて言ってません。不思議なだけです。だって石川さゆりとか小林幸子とかじゃないんだよ。あの藤圭子なんだよ? 妙な人であるっていう藤圭子最大の美点を無視して、よく話が続くもんだなぁって。

そしてもういっぺん言いますけど、藤圭子ってそんなに可愛いのか?

 

 

 

というわけで、藤圭子を知る前の状態にリセットして終わることにします。Back to the Kool.


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Sister Janie - Funk, Inc. (1971) (HD Quality ...


British Gas Rampage [PART 2] - Grandma goes ...

 

 

ちゃお。 

 

 

*1:でもほんとマジな話、比較対象を持たない評価って脆弱だからね。藤圭子だけ見てたって、聴いてたって、圭子の価値はわかんないよ。他の歌手のことはロクに知らない、いろんなジャンルの音楽のこともわかんないじゃ、評価なんかしようがない。 ...でも楽しけりゃいいんだよね。「評価」なんてバカがやることなんだ。圭子一筋で追っかけるのが正しいファンのあり方なんだ。 ...そりゃあ、一つのものを見続けてるうちに突然視野が開けて悟りを得るっていうやり方もあるだろうけどさ。そんな志があるようにも見えないし。

*2:前川さんとの離婚に至る圭子の心の動きも、基本はこんな感じじゃない? でもさ、ギリギリまで相手に合わせようとするんだよ。憎いわけじゃないんだから。離婚の原因は「結婚したから」って、ほんとにそのとおりなんだ。それ以上なんて言えばいいの。

*3:80年代? クソ。歌謡曲自体がもう存在していない。80年代アイドルが懐かしいだと? バカも休み休み言い給へ。時間が経ちさえすれば何でも自動的に懐かしくなるなんて、そんなことはお天道様が許さんぞ。

*4:『別れの旅』なんか入るわけないじゃないのさ。なに寝ぼけたこと言ってんだい。『知らない町で』と『別れの旅』の間には銀河系の端と端ぐらいの距離があるんだ。

*5:『さいはての女』も背景は雪だったけど、71年はまだ天気が悪かった。青空のない雪。

*6:なんせ平均視聴率47%ですからね。人の意識に与える影響も半端ではありません。

*7:CBSソニーの時代がいよいよ本格化します。本命の南沙織天地真理、さらに本田路津子でイメージアップに成功したおかげで、わずか1年の間に歌謡界の空気がプラズマクラスターです。このあとに百恵がやってきます。

*8:じゃあ1970年には圭子の "居場所" があったのかと言うと、「あった」とは言えないところがまたメンドクサイ。"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定するところからしか、藤圭子趣味は始まらない。下手物には上手物とは違う味わい方があるんだから。

*9:『歌いつがれて25年』と『圭子の人生劇場』がCD化されなければ、本来の藤圭子の姿は半分以上が復刻されてないも同然である。マスターテープが無事なうちになんとかしないと、後世に残る藤圭子も半分以下ってことになるな。