読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

癒されたり撃ち抜かれたり忙しそうだけど

藤圭子も人間だったってことがそんなに珍しいか。今まではいったいなんだと思ってたんだ。君たちが感動するその圭子の姿は、誰か特定の人間が君に意図的に見せたかった姿じゃないのか。圭子の目に見えてたもの、圭子の意識が向いてた対象が本当はなんだったのか、考えてもしょうがないから考えないのか。圭子に「癒され」たりしたら、その時点で "藤圭子" の意味がなくなるし、それが歌手・藤圭子を殺したんだとは思わないのか。君たちは "純子さん" にときめいてるだけであって、"藤圭子" がなんだったかは実はどうでもいいんだ。

...不毛だよね。あたしが不毛なことばっかり言ってるんだ。でもあたしにとって圭子はただのヌイグルミじゃない。あたしは本気で何かを観察して本気でそれに向き合うと、必ずその対象に腹が立ってくるんだ。ある意味、圭子に腹を立てるところからしか藤圭子の探究は始まらないって思ってんの。

藤圭子の「仕事」だけを見つめて、あえてその部分だけで評価しようとする姿勢にしか、わたしは共感できない。だってどんな人間だって、死ぬまでは必死で生きてるんだよ。それを否定することはできないし、その姿にほだされるのは当たり前なんだ。
でも何かを表現することを生業にしてる人間について、そこまで裾野を広げちゃったら、もうキリがないんだ。

それよりも、その人が一番表現したかったこと、一番大事にしていたこと、一番見てもらいたかったこと、一番自信を持っていたこと、その一番トンがった部分を、こっちも感覚を研ぎ澄まして、心を鬼にしてでも 受け止めなきゃいけないんだってあたしは信じてるけどね。

圭子をナメちゃいけないって思うんだ。素朴で飾らない「カワイイ女の子」っていう部分もあるのかもしれないけど、圭子はすごく厳しい人でもあるんだから。その厳しさのおおもとがどこにあったのか、それが見えてくるまでは、たぶんわたしは藤圭子から離れられない。