藤圭子趣味

"本質的にハグレてる" ものを嗜好するゲテモノ喰ひだと己を規定する

藤圭子

人は思いつきでできた言葉に縛られて、モノが見えなくなることがある。
「政治とカネ」なんていうのもそういう類の言葉だろうが、
デビュー当時の藤圭子の場合は「怨歌」だった。
私小説に走る性癖があって、
(他人の)不幸と貧乏の話が大好きな日本人は
これに飛びついた。
主に雑誌なんかで宣伝された「不幸な生い立ち」とからめて、
聴衆は藤圭子の真髄が怨み歌であると「納得」したのだ。
人が何かを受け入れるには、納得が必要だから。

 

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しかしまともに歌を聴けば、藤圭子がそのような歌い手でないことはすぐにわかる。
この人はただ、与えられた歌を持てる技巧の限りをつくして力いっぱい歌っただけである。
少なくともそのようにしか聞こえない。
そこには暗さも怨みもないし、
バカ売れしたファーストアルバムなんかは、
むしろ健康的な生命力でむせ返るほどだ。

★「命預けます」★
ひとの人生を狂わすような歌唱である。
カラオケ映像に映っている白痴のような女のことはとりあえず措いておく。
演出が悪かったんだということにしておこう。
こういう、ビジュアルと歌とのギャップも藤圭子ということで。

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 ★昭和45年のレコード大賞大衆賞受賞時の「命預けます」★
素の顔でおずおずと出てきて、
歌い出したとたんに「藤圭子」の顔に変わるところがおもしろい。
当時は、楳図かずおの恐怖漫画に出てくる娘のようだと思っていた。
歌い終わった後の逃げ足の速さもグッドである。

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★「逢わずに愛して」★
この18歳の小娘の圧倒的な説得力が藤圭子である。
クールファイブの原曲を完全に超えてしまった。
上手いヘタのレベルじゃなく、歌にぶっとい生命力が加わるんだ。
「絶望的に暗い」とか「怨歌」なんていうのは表面的なイメージの話で、
藤圭子本当の持ち味はむしろ生命力のほうにある
それを歌の中から生のまま引っ張り出してきて、解放させるパワーを持っていたのだ。
歌を演じるなんていうメンドくさいことはしないから、
生々しすぎて目障りに感じる人間も多かっただろう。
そういう点が、歌にこめられた「ストーリーを演じ」ようとする
ちあきなおみとかとは決定的に違うところだ。

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★「妻籠の宿」★
名盤『圭子のにっぽんひとりあるき』の劈頭を飾る名唱である。
「フォーク調の異色のナンバー」のはずだが、
異色が異色になっていない。完全に自分のものである。
こういう、「藤圭子」のイメージから解き放たれたときの歌で実力が知れる。
誰かビールのCMとかで使ってみんかね。

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わたくしアウトドアは苦手ですの

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