いっぺん藤圭子から「ストーリー」をぜんぶ剥ぎ取ってごらん。
自分の「想い」みたいなものも全部捨てて完全にシラフになる。
その上で藤圭子を純粋に音として、"事実" として耳に通すんだ。
あなたは藤圭子の「音」を、
ただそこにあるリアリティーとしてそのまんま聴いたことがありますか。
そのリアリティーをちゃんと受け止めたことはありますか。
受け止めてあげてよ。
Akiko Nakamura, 砂の十字架 (Cross in the Sand), 1968 ...
しょうがないじゃない名曲なんだから