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藤圭子趣味

下手物には上手物とは違う味わい方があるという

退屈上等

藤圭子

あいかわらず藤圭子に関する新しい書き物は出てこないし、まともなアルバムのCD化もすでに絶望的だし、しょうがないから近いうちに『歌いつがれて25年  藤圭子演歌を歌う』*1の解題でもやってみたいと思っているが、その渋谷公会堂のライブを聴くと思い出すのは、イリノイ・ジャケーの「ハーレム・ノクターン」である。音色とかフレージングとか、全体の空気感なんかが共通してませんか。

 

 

 


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう - YouTube


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう2 - YouTube


歌いつがれて25年 藤圭子 演歌をうたう3 - YouTube

 

しかし毎度まいど針を落とすたんびに、これは凄いぜ、とんでもないぜって、まるで初めて気づいたみたいに思わせるレコードって、そうそうあるもんじゃありませんぜ。

藤圭子がこの日これだけの歌唱ができたのは、バンドのアレンジと演奏のタマモノっていう部分も大きい。この繊細で丁寧で重厚な演奏は歌謡ショーの域をはるかに超えていて、あたしは藤圭子そっちのけで演奏に聴き惚れたりする。言ってみればグレン・ミラー楽団(ブラス)とゴードン・ジェンキンス楽団(ストリングス)がタッグを組んで藤圭子のバックをやってるようなもんである*2。そういう意味でも、このレコードは歌謡曲の一つの到達点として、歴史の中にちゃんと位置づける価値があるんだから、マスターテープが無事なうちにCD化しておけって前から訴えてんのに、ちっともわかってもらえない。*3

 

 

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そういえば以前YouTubeに歌謡大賞の受賞パーティーの映像があった。あれなんかは渋公とまったく同時期で、歌のフレージングがほとんど同じなんだけど、演奏がチープなぶん、やっぱり彫り込みっつーか、気持ちの入り方がまったく違ってた。ほんのわずかな発声や間の取り方の差なんだが、演奏の質っていうか音の環境っていうのは、歌にストレートに影響するもんなんだと思った。歌手の耳がよければなおさらだ。

 

 

 

で、『歌いつがれて25年』の価値について、誰か少しでも同意してくれる人はいないんですかね。いないんですね。需要がなけりゃ、そりゃCD化なんて実現するわけないわな。まったくもって残念なことですわ。ほんとは藤圭子のファンじゃない人間に聴いてほしいのに。CD化されて初めて、一般の音楽ファンにあまねく聴いてもらえる下地ができるってのにさ。

 

でもどうなんだろ。歌謡曲の演奏の良し悪しを判断するには、たとえばフランク永井の「場末のペット吹き」や「東京ナイト・クラブ」なんかのサウンドが体に染みついてるかどうかってのも関係するかもしれんと、ちょっと思った。

 


フランク永井・松尾和子 東京ナイト・クラブ - YouTube


場末のペット吹き(唄)フランク永井 - YouTube

 

 

lookwho.hatenablog.com

 

 

 

 

*1:それにしてもひでえタイトルだ。「演歌」なんか歌ってねえし。まあある意味「演歌」は時代の流行り言葉でもあったし、その後確立されたしょーもないジャンルとしての演歌を指してるわけではないが。

*2:これが翌年のサンケイホールのコンサート(『藤圭子リサイタル』)になると、もうどうしようもなくチープな演奏で、差が歴然としている。圭子の歌も負けずにチープになってて、渋公はほんとに一回性のもんだったのかもって思うのだ。

*3:またこのレコードは音の情報量が多くて、中身が立ち上がってくるみたいな臨場感があって、昭和45年10月23日のその場になんの違和感もなく入って行けるリアリティーがある。こいつが真っ先に高音質CD化されて当然なのに、日本の音楽業界は何を考えとんのかね。