んで?
売れてんの『藤圭子劇場』は。
どっちでもいいけど、通販限定のブックレット付きBOXセットなんていうのは、しょせんオモチャである。*1
相変わらず藤圭子はオモチャ扱いだ。マニアの慰みもんだ。狂った時代が産んだ徒花でしかなく、まっとうな歌手だとは思われていない。
まともな歌手は、ただむき出しでペラッとアルバムを出して、あとはほっとくもんだ。
渋谷公会堂と『圭子の人生劇場』と、それから『圭子のわらべ唄』を黙ってCD化して、あとは野となれ山となれというのが正しい行き方である。
そうして黙って発売されたあとで、山野楽器あたりにイジってもらうのが幸せなありかただ。
近ごろ銀座山野楽器なんかでは、「きっとあなたもジャズが好きになる」とか言ってトンチンカンな店頭企画をやっているが、案の定そんなものに足を止める人間はいない。「秋=ジャズ」っていう発想がもうダメ。春夏秋冬のべつまくなしに聴き続けるか、まったく触りもしないか、どっちかだよジャズっていう音楽は。
そんな間の抜けたことをやるくらいなら、ギターを持ったふじけーこのデッカイ看板をおっ立てて、「よみがえる藤圭子」とかテキトーなフリップを貼り出して、シブコーの「銀座カンカン娘」と「有楽町で逢いましょう」をスピーカーでガンガン鳴らしてやればいい。少なくとも人だかりはできるぜ。「これはなんだ」って言って外人も喰いつくべ。音のインパクトは絶対だから。でそこに『歌いつがれて25年』をずらっと並べときゃいいんだ。その脇に『知らない町で』をちょろっと置いとくとオシャレ度もアップするだろう。
それもこれも、アルバムが単体でまっとうにCD化されればの話である。
*1:もちろん通販のBOXセットなんか買うわけがない。 これは「ファンに対する贈り物」だろう。 だからおれは、なんにしても 「ファン」ってやつが嫌いなんだ。 自分がプレゼントをもらったからうれしい。 自分に "ある種の愛情" を振り向けてもらったからうれしい。 自分だけ喜んでそれで終わりだ。 「ご冥福をお祈り」して自分だけでウットリしている。藤圭子は「偉大な歌手」なんだろ? それが、豪華ブックレット付きBOXセットなんていう「大人のオモチャ」の中に封印されて、 しかも中身は味噌もクソもいっしょくたの抱き合わせ販売だ。 それをファンは「自分のために作ってくれた」って言ってありがたがる。 自分なんかどうだっていいよ。 ただ作品が本来の形で生き続けてくれりゃあいいんだ。